こんにちは。シュガーです。
まずは10月17日の記録
・大学の課題1h
・受験勉強1h
もう少し効率的な時間の使い方を模索したいところです。
タイトルのフレーズを最近どこかで聞いたことがある方、いらっしゃいますか?
RADWINPSの野田洋次郎さんが作詞作曲した「愛にできることはまだあるかい」の一節です。映画「天気の子」の主題歌として作品の中で用いられています。
このフレーズだけでなく、歌詞ひとつひとつから感じられるものがあります。
著作権の兼ね合いがありますので、フルの歌詞は読者の方ご自身でお調べください。
私は何度もこの楽曲をリピートしています。辛い時にそっと背中を押してくれます。
世代間格差、男女格差、収入格差、若者の政治への無関心や諦め、希死念慮および自殺者多数の社会、既得権益への憎悪etc
具体例として全てが正しいかはわかりませんが、これらの社会に蔓延る問題の多くはこの歌詞に通ずると思います。

資本主義社会は競争によって成り立ちます。ゆえに当然敗者が存在します。残酷なことです。しかし、その競争によって得られた様々な製品やサービスによって生活が豊かになっているのは事実です。
確かに物量的には非常に豊かな社会になっています。ではなぜ社会問題が次から次へと出てくるのでしょうか。表面化していない問題もたくさんあるでしょう。
私は精神面に原因の多くはあると思います。
結論から言うと精神的豊かさを実感できる社会の構築が必要だと思います。目に見える部分は非常に豊かな社会ですが、心に闇を抱える人は多いでしょう。21世紀の最たる病気は精神疾患になると予測されています。医療技術の発展によって細胞レベルで病気の治療ができますが、心の病はそうはいきません。
私は心理学や精神医学の専門家ではないので病の正しい治療はわかりませんが、専門家が病を持つ人一人一人に治療を施すよりも、社会全体が心の豊かさを考えながら共に支え合うことが病の治療を助け、病を未然に防げるのではないかと思います。
少し私たちは他人に多くを求める割には無関心で、独りよがりな気がします。自分だけ良ければいいと考えてしまうことはありませんか?
競争によって物量的な豊かさは手に入ります。ですが心の豊かさは手に入りません。大切なのは協調、協力だと思います。
サッカーやラグビーの国際大会の際には多くの人が一緒に一喜一憂します。これが協調です。共に悲しみ共に喜ぶ。ハードな競争と同時にファンの協調やチームプレーといった協力がそこには存在しています。勝者と敗者が共に称え合うスポーツは美しいと思います。
しかし、資本主義社会における競争にそのような美しさは存在しないような気がします。美しさを求めることが間違っていると言われればそれまででですが、そこに問題の解決策を見出せるのではないかと思っています。競争に敗れたものへ自己責任を押し付けるのではなく何らかのアドバイスやサポートを超えたことが出来ることが理想です。

東大の入学式で上野千鶴子先生が以下のようにおっしゃいました。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください」
私の伝えたいことそのものです。
このことについて東大生だけでなく、一人一人がよく考えることが、心地よく息を吸える社会の実現への第一歩になるのではないかと思います。
頭の片隅で考えつつ、勉強頑張ります。
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