【北海道の歴史】黒曜石と文化の変遷

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日本国内の黒曜石の産出地

黒曜石は現在から約1万2千年以前の旧石器時代から縄文時代にかけて各種石器の原材料として用いられていました。黒曜石の原産地は日本各地に見られ、北海道白滝、長野県和田峠、東京都伊豆諸島神津島などが主要な産地です。産出された黒曜石は当時重要な交易品として扱われ、物々交換により全国各地に広がりを見せました。

弥生時代に入り本州では大陸より稲作とともに金属器が伝来したため、石器の使用は減少しました。それに伴い弥生時代以降の遺跡からの黒曜石を用いた石器の出土はあまり確認さていません。

北海道内の黒曜石の産出

北海道の黒曜石の主要原産地が遠軽町白滝にあったことが確認されており、石器の原材料供給地、制作地を担っていたと考えられています。白滝産出の黒曜石は十勝石の名で親しまれている。他に置戸、十勝三股、赤井川などで産出されました。

白滝市街地の北北西6.5kmにある赤石山(標高1172m)山頂部から湧別川流域にかけて遺跡が集中してます。これらの遺跡群は標高に応じて、『採石場』(標高800m地点)、「中継地」(標高600m地点)、「集落」(標高400m地点)に分かれ、石材の採掘、搬出、制作の分業システムが高所から低所に向けて構築されていたと考えられています。産出された黒曜石は、白滝赤石山から北東45kmに位置する興部町札滑遺跡、南110kmに位置する帯広市暁遺跡などを拠点的中継地点として、全道各地に運ばれていました。これらの遺跡は遠隔地への物流ネットワークのターミナルとなっていたと考えられます。

遠隔地との交流

また、遺跡からは道南の頁岩地帯で製作された「荒屋型彫刻器」が出土しています。この彫刻器は黒曜石製の石器で代用可能であるにもかかわらず出土が確認されていることは、黒曜石との交換によって他地域の人との交流を広げることに意義を見出していたと考えられます。さらにアムール川河口のスサニーノ遺跡で白滝産の黒曜石が出土しており、相互交流が認められます。当時はサハリン、シベリア方面と陸続きであり、より遠方へネットワークが及んでいた可能性も。

黒曜石と石刃族文化

8千年前、縄文時代には石刃族文化が存在したと考えられています。石刃族とは幅1~1.5cm長さ5~6cmの中型石刃の腹面を細かく加工して鏃にしたものです。これらの石器が出土した遺跡は縄文早期中頃から後期にかけてのもので、石狩低地帯から北方へ広がり道東北部を中心に分布しています。特に道東北部には大規模遺跡が沿岸部に偏っていることから、漁労を中心とした生活を営んでいたと考えられます。

またサハリン、アムール川中流域からも石刃族が大量に出土しており、源流はバイカル湖周辺、アムール川流域に求められることが定説化しています。

まとめ

旧石器時代から縄文時代の北海道では黒曜石が重要な交易品として扱われ、遠隔地との取引に用いられました。それにより、本州やサハリンとの交流ネットワークが形成され、新たな文化が育まれていったことがわかります。

実際に北海道内には遺跡がたくさん残っており、それらの遺跡群を世界遺産に登録しようとする動きもあります。北海道観光で遺跡巡りをしてみても面白いかもしれません。

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